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エッセイ
独学について ピアノ篇2
大学へ進学するとロック研というサークルに入った。
ギターが弾きたかったのだが、サークルメンバーの殆どがギターだったのでこれではバンドは組めないだろうなと思い、「ドラムやりたいと思ってます」なんて言ったらすぐにバンドが組めた。ドラムも習ったことはないけど、できるって思っちゃうと何とかできたんだよね。3ピースバンドで、ストーンズの「Tumbling Dice」や、ストリートスライダースの曲などをカバーというかコピーしていた。
ところが、テンポが遅れることが多かったので、ギターの奴から「テンポキープに努めるか辞めるかしてくれ」と言われ、あっさりと辞めることにした。
それからはロック研にもあまり顔を出さなくなり、ピアノを弾くようになったというわけである。大学で自分は経済学部だったが、教育学部生のためのピアノ棟と言うのがあった。
アップライトピアノだけが置いてある2畳程度の部屋が、1階2階含めて40部屋ぐらいはあったのではないだろうか。教育学部生は幼稚園や小学校の先生になるからピアノが必須だったんでしょうね。
そこで、教育学部生がいなくなる夜を狙って練習していた。大学時代は一人暮らしをしていたが、家にはピアノがなかったので、初めの1年はほぼ毎晩のようにピアノ棟に通って弾いていたと思う。バイト三昧だったので授業もほとんど出ず、夜ピアノ弾くために大学に行っていたくらい。弾いていた曲はもちろんブギウギ、BIG MACEOの「Chicago Breakdown」。
音は採れても弾くのは全く大変であるし、採れた音が常に正しいわけでもないから、弾きながら、自分で採音したフレーズがより本物らしく響くかということをやり続けてたと思う。ジャズピアノの本を見たりして、ブルーノートの音の出し方を学んだりもして、 1年近く弾けばなんとかいい感じに弾けるようになってきた。そうすると当然、他の曲も弾いてみたくなる。それで選んだ曲がなんと。ショパンの「別れの曲」である。正確には練習曲作品10第3番ホ長調と言う。
クラシックの曲の中では最も好きだったので弾いてみたいなと思ったわけ。この曲だけの楽譜、ピアノピースを買って必死に練習した。
これは3部構成になっていて、1部と3部はあの有名なメロディーの部分であるが、中間部は高難度テクニックが必要とされる。1部と3部は弾けるようにはなったが、中間部は全くもって難しい。逆に難しいからこそ、弾いてみたくなったということかも。
ピアノピースにはその曲の難易度が書いてあり、別れの曲はABCDEFのうち最難関のFであったが、独学ゆえの無鉄砲さでそんなことは気にはしていなかったわけです(きちんと弾けたかどうかは置いといて、中間部を含めて全部弾けてた時もあった)。バンドを続けていたら、ピアノ弾きたいという気持も消えて、ピアノにはまることもなかったしれない。
そして、ブギウギも別れの曲も1人で演奏が成り立つ曲であったからはまったと思う。つづく
2019/04/25